フジロックへ行くのは富士山へ登るということではない(念のため)

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人は何かを変えたくて会社を辞めてインドへ行くのだろうか。あるいは富士山登山を試みたりするのだろうか。私は有給休暇でフジロックフェスティバル(*)へ行った。20代最後の夏、2006年のこと。

 

フジロックフェスティバル…言わずと知れた日本の音楽フェスティバルの代表格。ちなみに富士山近辺で開催したのは初回1997年のみで、1999年より新潟県苗場スキー場で開催。念のため。

 

大学浪人時代から洋楽ロックにかぶれていた私は、卒業後映画の仕事を目指したものの新卒には狭き門で、とりあえず社会人経験を積もうと最初に内定が出た会社に就職して数年経っていた。フジロックを知ったのは大学時代からの彼氏(同じく洋楽かぶれ)に2004年のWOWOW特番のビデオを借りたせい。その年はかなりの豪華メンツで、1日3時間×3日間のそのビデオを狂ったように毎晩見ていた。特集している音楽雑誌も穴が開くほど読んだ。いつか行ってみたいと思いは募るもののチケット代、宿泊代の金額が高すぎて二の足を踏むうちに月日が流れ、2年がたった。その間に彼とは色々あって別れており、タダでさえ友達も少ない私はますます人との交流が減っていた。会社では中堅クラスになって、それはいいけど仕事以外に特に何もない自分の生ぬるい状況を持て余していた時期だった。


2006年に、私が当時死ぬほど好きだったバンドがフジロックに来ることが決まった。それを知って、何がなんでも行きたい、いや行くべきだ、と突然何かに突き動かされた私は、宿泊代を浮かすためにまず御茶ノ水のアウトドアショップでテントとマットを買った。防水シートは100円ショップで。リュックと長靴と寝袋は弟に借りた。2年間行きたすぎてフジロックのサイトをなめるように隅から隅まで見ていたので、知識は蓄積されていた。

 

会社や仕事先にフジロック山の中でやるので携帯繋がらないかもと言うと、おじさま方に富士山行くの?と勘違いされ、いちいち新潟の苗場に行くと説明するのは正直面倒でもあった(堅い会社だった)。一緒に行く相手はいなかったけど、1人で東北新幹線に乗り込み苗場へ向かった。

 

フジロック(というか初フェス)、初テント泊、ソロ参加。三拍子そろったビギナーの私はおまけに人見知りで、1人でライブもロクに行ったことがない。しかし会場に向かうバスを待つ間にチラホラ見つけたソロ参加の人に勇気づけられ、思い切って話しかけ、一緒にテントを張ってフェスを案内してもらった。

 

初めての野外フェス、初めてのキャンプ、山の中を走りまわり、夜中から映画を観て、朝もやの森を歩いて帰り、またライブを見て、ビールを飲み、草むらで昼寝。

途中携帯に仕事の電話がかかって来たけど電波が悪くて聞こえない。仕方なく麓のホテルの公衆電話で硬貨を投げ込みながら話してたら1500円かかった上、大した用事ではなかった。現地でできた友達と待ち合わせするも電話が繋がらず、「誰々のライブ見に行くからそこで」の言葉を頼りに落ち合った。山の天気は変わりやすく、ジリジリと肌を焼く容赦ない日差しから一転、雨雲が立ち込めて豪雨に襲われた。雨に降られて安いポンチョは内側からじっとりと湿った。朝は日の出とともに起きてテントから山を見下ろし、考えていたのは音楽と、ビールと、何を食べるかと、天気のことだけ。そんなシンプルで夢の様な4日間を過ごして、家に帰った。

 

それからというもの私の頭の中にはずっと苗場の緑がキラキラしていた。人には「生き返ったみたいだ」と言われ、自分がそれまで死んだ様に家と職場の往復をしていたことに気づいた。あそこで見たアーティストや来てた人たちみたいに、やりたいことをやるべきだ。そう思って会社の外へ出る様になり、色々な人と知り合い、自分が好きな映画や音楽に関することをたくさんやった。やりたい事をやるのは本当に楽しく、時間がいくらあっても足りない。これをずっとやっていたいと思えた。

そして次の年の夏に再び苗場に行く少し前、新卒入社して7年勤めた会社を辞めた。決して悪い会社ではなかったしお世話になった気持ちも強かったが、映画の仕事をするチャンスがあり、その時はただ好きなことをしたいという気持ちの方が強かった。その気持ちだけで知り合いの会社にインターンとして飛び込んだ。

 

残念ながら、半年後私は業績不振で映画会社からリストラにあった。まさか半年で失業するとは想定外。人生はそうドラマのようには行かない。その後10人もいないベンチャーの広告代理店に雇ってもらい、企画書の作り方やイベントのやり方を一から習い、ありとあらゆることを勉強した。ほぼ異業種だったため初任給は低く前の会社を辞めた時の年収に戻すまで5年はかかった。お金のこと以外でも、社長とひどい喧嘩をしてクビ宣告を受けたり、何人も鬱になって辞めたり、しまいには社長も鬱になるような異様な会社だったけど、仕事は面白くて結局10年近く働いた。

 

気がつくと、自分は最初の理想とはずいぶんちがった未来を進んでいたようだ。フジロックが転機だったのは間違いない。けれども私を100%救ってくれる力はなく、本当は最初の会社にずっといた方が順風満帆だったかもしれない。でも、やはり浮き沈みがあろうが、外に飛び出して得たものの方がはるかに多かった。毎日色んなアイディアを出して、色んな場所で色んな人と出会った。どんな新しい仕事を振られても自分でどうにかできるようになり、付き合う人も世界も広がった。フジロックには毎年ずっと行ってるけど、一緒に苗場に行く友達もできて、それ以外のフェスにも、ライブにも、海外のフェスにも行くようになった。もう、周りにはフジロックと聞いてなんで富士山じゃないの?と聞く人もいなくなった。

 

会社でなく個人で働く人たちにも沢山出会い、みんな山あり谷ありで逞しく生きていた。働き方も一つではないと思うようになり、会社の枠にとらわれなくなった。会ってみたい人には会いに行けるし、行ってみたい所には行くことができる。うまく行く時もそうでない時もある。でもやりたいと思う事はやればいい。カンカン照りのときも、どしゃぶりのときもある、山の天気と同じ。

…お後がよろしいようで。

昔なつかし婚活話

よくよく考えたらこのブログ2年前から書いてるけど、
全然本題に触れないまま2年経ってるやん…

その間に私は正真正銘の40歳になり、
10年近く勤めたブラック企業から転職し、
また別のブラック企業に勤めながら、
どうすっかこの先…
と日々迷いながら生きている。

ダンナちゃんも今年で50歳、
お仕事も自宅勤務(自宅警備じゃないよ)になり、
ストレスが無くなったのは良い事だがしかし、
今私が大黒柱ゆえ、
年収を落とさないわけにはいかないので、
好き勝手に辞めたり出来るわけではない。

結婚するときにはあまり想像していなかった未来に立っているのかな。

でもまあ、なんとかなっぺ、
子供いるでもない、
家を買うわけでもない、
と、楽観的に生きている。

ここしばらくで実感したのは、
昔々婚活していた感じと、
転職活動はいたく似ておるわということ。

年齢の条件、
年収の条件、
仕事の内容(その人の趣味または価値観)、
何を基準に選ぶかはそれぞれだけど。
年収が表示されない転職サイトというのがあって、
その代わり仕事内容がしっかり書かれているので、
面白い、運命?と思える出会いがあったりする。
面接はさしずめデートで、
回を重ねて契約(婚約)というところでしょうかね。
2回でダメになるパターンももちろんある。
なんならフェードアウトされることも。

ところで、婚活という話でいうと、
私には40歳前にはどげんかせんといかん、
という気持ちが常にあった。
それは指南本でも何でもなく、
飲み屋であったおねいさんの忠告。
彼女はものすご仕事ができる人で、
良い会社に勤めていて、
初対面でもわかるサバサバ系の人で、
こう言った。
「40過ぎるとびっくりするくらいお声かからなくなるよ!
それまでに何とかした方がいい!」
彼女は40過ぎて自分が実感したことを、
まだ30代の私に教えてくれたのだった。

それが正しいとか正しくないとか、
そんな日本の社会がおかしいとか、
それはさておき、私は、
40までになんとかしないといかんのか、
という言葉のままに、
婚活を始めた。
35歳のこと。





帰りの空港でもやらかした話(飛行機の話いい加減終わりたい)

気づいたらほぼ一年近くブログを放置するってまったくどうなんでしょうw


その間に自分の環境も色々変わり、クッソ忙しい仕事に嫌気がさして転職したのにさらに忙しい環境になっていたり…まあその事はおいおい。


ともかくこのロンドン話いい加減完結させたいので重い腰を上げ筆を取りました。


ロンドンはハイドパークという巨大な公園があり夏にフェスやるんだけど6万人収容のフェス(って東京ドームよりちょっと多い、フジロックのグリーンステージ4万人の1.5倍)を「公園のごく一部」でやるってのがすごい。

フェスの話はバンド愛が凄すぎるの巻ということですでにTumblerに詳しく書きまくりまして完全燃焼済。

不完全なのは帰りの話…空港ミスからの飛行機乗り換えでロンドンには丸2日もいられないという中で、フェスの次の日にバンドファンのTwitterフォロワーさんとのお茶タイムを試みた私。

さらには無料のアートプロジェクトみたいなものまで欲張って見てたんだけど、すっかりヒースロー空港が東京→成田くらいの距離あんの忘れてたね…

気づいたら出発2時間前になっててもう空港いなきゃいけない時間やん!と慌てて出発。ショートカットのしようもなく出発30分前くらいに空港着いて、トルコ航空のロビー探す(あせるあせる)

トルコ航空のCA(オッサン)にチケット見せると隣のCA(若い)となにやらトルコ語で会話しつつ、いきなり私に「Too late.ナンチャラカンチャラnext airplane」的な事をぬかした。


は?( ゚д゚)

いやいやいやいや。


ここで私の脳裏に再びあの航空券取り直しの悪夢がよぎる。一瞬請求額もよぎる。ないないないない。まだ時間あるでしょうなんとかしてー的な事をまくし立てて、なんとかCA(若い)の重い腰を上げさせ、特別ルートみたいな所を通り(多分要人用)出国審査もすっ飛ばし荷物チェック。手荷物だけで良かったわー。しかしパソコンやら電気機器が多くてチェックに時間かかり、CA(若)からチッと舌打ちされ「パソコンは置いてったらどう?」とかジョークかなんか判断つかない事を…( ゚д゚)

うんまあ海外クオリティやし。

とりあえずギリギリセーフで搭乗でき無事帰国の途に着いたわけです。

それからさすがに空港には余裕を持って行くようにはなったけどね…

(3つ前の福岡の話に戻る)


ちなみに後日、エミレーツ航空15万、トルコ航空23万と計38万の請求が届いた。あと携帯の海外料金が自分のと会社にそれぞれ2万ずつかかった。

返すのに一年くらいはかかったよ。


気をつけよう 甘い言葉と 空港名

注意1秒 支払い一生


肝に命じます。








7年ぶりの海外旅行でまさかの羽田と成田を間違えて途方に暮れた話の続き(ネタバレやん)

さて、その昔例のバンドのボーカルがと車で空港に向かう途中のインタで、

最終的にロンドンのヒースローに着いたのに別の空港からの便だった、

みたいなオチの話があって、へーそんなことあるんだーとか思ってたら、

まさか自分が同じ目に遭うとはね…

 

空港で夜中電気消されたので仕方なく唯一明かりがあるトイレにこもって、

2時くらいまで仕事して、椅子のところで仮眠。よかった日本で…まだ安全だからね。

朝になって営業時間になったので旅行会社につながり事情を話す。

当日のキャンセルなので振替はできず、取り直すしかないという(やっぱり)。

おねいさん、「直行便なら割と可能性あるんですが50万くらいですかね…」とか、

恐ろしい事をサラッと…ご、50万すか…いくら私が信者(バンドの)といっても50万は…

あ、でもこの韓国便18万くらいならなんとか…

(それでも最初のエミレーツと合計したら32万www)

したらば、「当日の申し込み午前便はこちらではできないんです、

空港にいらっしゃるならカウンターで聞いてもらえますか?」と。

??そういうもんですか??

何かよくわからないが空港にいるので大韓航空のカウンターへ。

不思議なことに、旅行会社のシステム上では空席あったけどカウンターでは満席と言われた。

ダメか…

でもいくら私が信者(バンドの)でも50万は…


気を取り直して次に安かったトルコ航空に狙いをつける。

23万か…5万程上がったな…もう金銭の感覚おかしい。

カウンターで聞いたら直接買うとえらい高いので旅行会社を通した方がいい、

空席はある、との情報。再び旅行会社に電話して、空席あるからなんとか押さえて!の交渉。

スマホ2台を駆使して電話しながら申込用紙を記入したり送ったりして待つこと15分、

1時間後に出発→金曜の夜中にロンドン着、日曜の夕方にロンドン発つ便をGET!!!

やった!!

予定は大分狂ったけど、当初の倍はお金かかるけどとにかく行ける!!

そんな私の事情を知ってるだろうに、

「今ならプラス3万円でビジネスクラスにグレードアップできますよ」と、

笑顔で勧めてきたお姉さんはどういうつもりだったのか・・・

もう、飛行機では疲れがどっと出て爆睡した。

 

さて。


ヒースローに予定時間をオーバーして23:30に到着したおかげで両替所は軒並み閉店、

やむを得ず7年前ドイツ行った時の名残5ユーロと、

クレジットカード(キャシング機能なし)しかない、

というほぼ丸腰状態で市街地へ向かう。

乗り換えは3回。

電車の切符はカードで買えるけど3回目の乗り換えの駅で終電キタコレヽ(;▽;)ノ

目的地(宿)までまだかなりある…

ていうか…なんかガラの悪い地域だなここ…という状況で、

とりあえずタクシー使う事を試みるが、

アッサリと「クレジット使えないんだよねー」

じゃ、じゃあ夜間バスで最寄り駅まで…と試みるも、

「ユーロ使えないんだよねー」

詰んだわ…

つかロンドン不便だわ…

いや私か…

気の毒に思ってくれたバスの運ちゃんがそのままタダ乗りさせてくれて

どうにかこうにか最寄り駅まで着き、

人気のない道をドキドキしながら歩いて

(後で知ったけどあまり治安良くない地域だった)、

どうにかこうにか宿までたどり着いた時には1:00を回っていた。

ようやくホッとして、翌日のフェスに備えて気絶するように寝た。

この話、帰りの飛行機の件まで続きます。

時間がもったいないからとかと関係なく多分飛行機ともともと相性が悪いんではないかという話

飛行機云々の話つながりで2014年に起きた人生最大のアボーンなお話をば・・・

 

 

その年、私の音楽観をがらっと変えてしまったある英国バンドが10年ぶりに再結成する

というイベントがあり、

ただそのイベント後のスケジュールはまったく白紙、

かつボーカルがお薬関係で何度も逮捕されているのでおそらく来日不可能ということで、

そのイベントを見るためだけに7年ぶりに海外に行ったというわけです。

この旅行は結構な強行軍で、なにせ夏休みの雰囲気が出ていない時期で有給はなかなか

勇気がいる。

うちの社長は休みを取ったことを後々までねちねちという様な人なので、

せいぜい取れて2日・・・でもロンドン少しくらいは観光したい・・・

ということで最大限入られるようなフライト計画に。

 

行き:木曜の夜中24時半東京発→ドバイ(行ったことない)経由→金曜の夕方ロンドン着

帰り:日曜の夜20時ロンドン発→ドバイ経由→月曜の23時着

 

まあこれなら一応まる二日はいられる・・・ということで、

ドバイも行った事ないから、空港から何か見えるかな、ということで、

140,000円エミレーツ航空をお買い上げ。当然エコノミー。

 

して当日、

成田に出発2時間前に到着するために会社(恵比寿)を21時に出て、

とか色々シュミレーションしてたんだけど、

ある仕事の締め切りが金曜日に被ってたせいでなかなか出れなかった。

ていうかPCを旅に持っていくのが嫌でギリギリ終わらせたかったんだけど、

そんなことしてたらなんか恵比寿→成田国際空港の直通電車に間に合わない事態に。

乗換案内で明日の朝着とかしれっと出るわけです。

 

はあ!?((((;゚Д゚)))))))

とか思ってあわてていろんなルートを探す。

成田周辺のことが遠すぎてよくわかりません。

最悪近くの駅まで行って、そこからタクシーで・・・とか考えながら、

地図やらWEBやらで調べる。

と、成田東という駅から徒歩で行ける通路があり、そこギリギリ終電間に合う。

やれやれ・・・とやっと一息。

フライト1時間前着ですが、何とかなるでしょう、まだ国内だし・・・

こういうギリギリなのもうやめないと、いい大人なんだから、とか自分をたしなめる。

さて、成田東駅に到着。

なにこのくそ田舎みたいなさびれた駅・・・

かろうじて駅員さんがいるけど・・・成田行きの通路、閉鎖されているし・・・

どうやって行けばいい?と聞いたとおりに地上に出るも、雨降ってるわ、

なんか人通りもサインも何も無い上に封鎖されてんですけど・・・

同じように迷ってる人としばし探すけどあきらめてスタート地点へ戻る。

気が急いてます私。((((;゚Д゚)

もう駅を閉めようとしていた駅員さん(あぶねー!)にもう一度トライ。

するとなんか検問所に連れてかれて、閉まっていた(あぶねー!!)のを開けてもら

い、パスポートチェックしてもらってようやく空港への道が開けた。

道っていうか、車道を突っ切って向こうにいく感じだったんだけど、どうにか着いて、

エミレーツ航空は2階か・・・と上がろうとする。と、警備員の方々が現われる。

警:「どちらに行くんですか?」
私:「エミレーツ航空です」
警:「2階の国際便はもう閉まってますよ」
私:「え?24:30からのフライトに載る予定なんですが・・・」
(この時点で23:30、まさかもう締め切り??)
警:「国際線はその時間のものは無いです。空港をお間違えでは?」
私:「えっ・・・?」


(  ゚д゚)

 

まさか、まさかね。そんな初歩的なミスが・・・

あったんでした。

私、一瞬心臓止まったね、間違いなく。

こういう時とっさに出た言葉が、「ひっ」でも「嘘っ」でもなく、

「OMG」だったのは、なんなんでしょうか・・・日本人のくせに・・・

 

えと、

E-TICKETプリントしたの持ってたんだけど、HNDって書いてあるのに、

NRTではないのに、多分最初は確認してたはずだけど今日はもうなんか時間のところし

か見てなかったね・・・

あとね、携帯での予約確認画面だと空港名出ないのね。東京発としか書いてないの・・・

海外7年前は国際空港といえば成田が主流で・・・(小声)

あまり行ってないせいで、成田は夜中国際線ないとかそういうの完全に情弱だった

ね・・・

警備員が気の毒そうに、タクシーで行けば1時間ちょっと位かも、とか言われました

が・・・せっかくですが、時間が無理ですね・・・。

2時間あったらまだ分からなかったかもしれないけど・・・

というわけで、成田から羽田へ行くことも出来ず、

旅行会社のサービスも朝まで何もできないと言われたので、とりあえず空港で朝を待つ

羽目に。

羽田のフライト時間を過ぎた瞬間、頭の中にチーンと何かが終わった・・・

はたして私は彼の地ロンドンへ到着できるのだろうか・・・

(長くなるので続きます)

時間がもったいないからギリギリに行動する人間にとって飛行機はだいぶ相性が悪いという話

大型連休明けに地方出張に行ってきました。
飛行機で行くようなところだけど飛行機代を調べたらまあびっくり。
J社だと片道40,000円かかるのに、
S社だと半額以下で、しかも3日前予約割引でさらにお得。
飛行機の質がそこまで変更するもんですかね?
まさか機内食がついてるとかついてないとかいう話じゃないよね?
とにかくそこまで差があると思えないので迷わずS社を選択。

いや、連休明けのブルーマンデーを回避できるという点で大変結構。
特に飛行機というのは非日常な体験が味わえる。
空の上は電波が使えないのでネットも見れないし、
窓際なら景色見てボーっとするのも大変良い。
あー雲が流氷みたいーとか呑気に眺めてたらとつぜん来た。

私は飛行機のこれだけがどうにかならないか、というのがあって、
特に小型機が降下するとき頭の後ろだか横からはじまって顔全体に激痛が走る。
多分気圧が急激に下がるんだか上がるんだかのせいなんだろうけど、
離陸のときはなんともなくて、
空港に降りるための降下の時に必ずと言ってよいほど来る。
スナック菓子の袋とかがパンパンになるようなアレも関係していると思うんだけどね・・・
対処法はわかりません、というか多分無いと思うんだけど、
他にもなっている人はいるのか、
そういう場合どうしているのか聞いてみたいところですね。

電車と違って飛行機は少なくとも2回生命を危機にさらす場面があるので、
そういう生死とかについてなんとなく考えることもある。
と考えるのはおそらくダイハード2の影響かもしれません。

ちなみに、
今自分は愛するダーリンがいるから、死ぬとかの場面になったらどうするだろう?
と考えないこともないけど、
わりかし40近くまで生きてきてなんだか今頂点みたいなところもあるので、
今この幸せの絶頂の状態で死ぬとかわりかし良いのかも・・・とか考えてしまった。
そんなこと言って残されたらいやだよね、ごめんよダーリン。

なんか帰りは顔左側だけが痛い・・・
整形とかで顔に異物が入っていると痛むというけど何も入れてないぞ。

大体私はあまり飛行機と相性が良くないと思うことが他にもあって、
普段電車をできるだけギリギリに使いこなそうとしている人間には、
余裕を持って乗らなければいけない、
という空港時間というものが流れが違うようでして、
平たく言えば国内線で20~30分前、国際線で2時間前に空港で準備、
みたいなのにどうも慣れていない。

そんなわけで本日、
朝は5時半起きで空港には40分前くらいについて手続したものの、
そのまま搭乗せずに銀行行ったり(結局手数料がかかるから下ろさずじまい)
朝ごはん買ったり(どちらかというとこっち)してたら出発10分前になってしまっていて、
なんか1年ぶりに乗るものだから手順を忘れていて若干右往左往した挙句に搭乗口にギリギリについて、
最後に機内へ乗り込んだという。

その時搭乗口でなんか名前呼ばれてるなーと思っていたけど、
実は最後の一人としてなんか名前を連呼されていたんですね・・・
いやー呼ばれちゃったなー失敗失敗ーと思ってたら実は機内放送もされており、
なんとそれをまさかまさかの偶然同じ機に同乗していたクライアントに聞かれてたらしく、
何食わぬ顔で現地集合したら、ふとした拍子に暴露されて赤っ恥でしたよ・・・
ていうかクライアント様、

私みたいに貧乏会社じゃないんだからS社の安売りチケット目当てじゃなくて、

もっとJ社とかの高い飛行機使ってくださいよ!

 

はじめまして。はじめました。

 アラフォー女がアラフィフ男と出会って1年とちょっと。

結婚して半年とちょっと。

晩婚でもイチャイチャもすればケンカもする新婚ですが、

実名でのオノロケは半年もたてば周りから「えーかげんにせーやー」という雰囲気で、

でも新婚のスイートな時期はこの時期だけですし、

書きたいことを書きたいと思ってはじめてみました。

将来夫婦喧嘩がヒートアップする前に見直してもいいし!

そんな備忘録的なものでひとつ。